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東京地方裁判所 昭和45年(合わ)305号 判決 1970年10月31日

主文

被告人を懲役一年および罰金一万円に処する。

右の罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。未決勾留日数中六〇日を右懲役刑に算入する。

訴訟費用は、全部被告人の負担とする。

理由

(罪となる事実)

被告人は、北海道美唄市にある高校を一年で中退し、同市において運送店の運転助手などをしたのち、昭和三九年に上京し、装飾店に勤務したが、二年位でこれをやめ、昭和四一年一〇月から東京都渋谷区本町六丁目二一番七号丸甲タクシー株式会社においてタクシーの運転手をしている者である。

第一、被告人は、昭和四五年七月二一日無給休暇であつたのに、小遣銭を稼ぐため午前八時二〇分頃から勤務につき前記丸甲タクシー株式会社所有のタクシーを運転して都内各所を走行し、翌二二日午前零時過ぎ、運賃の水揚が一応予定の額に達したので、帰社するつもりで東京都渋谷区本町六の二一所在の前記会社に向かつた。しかし、被告人としては、同じ方向に行く客があれば帰社するついでに乗車させるつもりもあつたので、空車の標示をしたまま走行を続け、東京都世田谷区太子堂四丁目一番三号先道路にさしかかつた際、左側の歩道上に、会社員山田可清(当四一年)が同僚の小室恵弘(当時二六年)をその自宅に送り届けるため手をあげて停車の合図をしているのを認め、いつたんそのそばに停車した。ところが、右小屋から申し込まれた行先が会社へ帰る方向と違つていたので、これを拒否する身ぶりをして発進しようとしたところ、右小室が腹を立て、付近のバーで酒を飲んできた勢いも手伝つて、前記自動車の助手席左側の半開きの窓から手を入れるなどの行為に出た。そこで、被告人は、同人がそれ以上の行動に出ることを恐れて同車を急に発進させたところ、同人は左手で助手席横の窓ガラスをにぎり、右手で同車の屋根左端に取り付けてあつた方向指示灯をつかんで同車から、はなれようとしなかつた。被告人は、このような同人の態度をみて、狽狼し、自車を高速度で進行させれば、前記のように不安定な姿勢をしていた前記小室が車から転落して頭部等を道路上に激突させること等によつて死亡することもありうることを認識しながら、それを意に介することなくそのまま渋谷方面に向けて同車を発進させ、時速約六〇キロメートルまで加速して疾走した。そのため、前記小室が同車にしがみついたまま、時おり両足を宙に浮かせながら路上をひきづられ、また大声で悲鳴をあげたのに、被告人は、これを知りながら、あえて同区太子堂二丁目一二番一号付近路上に至る約三〇〇メートル走行を続け、同所において同人を同車より路上に転落させた。その結果、同人に対して顔面および四肢挫傷、右上門および犬歯損傷の全治約一週間を要する傷害を負わせたが、同人を死亡させるには至らなかつた。

第二、被告人は、前記のとおり、自動車運送事業者丸甲タクシー株式会社の従業者として一般乗用旅客自動車により運送業務に従事している者であるが、昭和四五年七月二二日午前零時過ぎ頃、前記第一記載のとおり、右会社の業務に関し、法律上託された事情がないのに、東京都世田谷区太子堂四丁目一番三号先道路において、小室恵弘からの運送の申込に対し、その引受を拒絶した。

(証拠の標目)<略>

(被告人および弁護人の主張に対する判断)

一、被告人に判示第二の道路運送法違反の事実はないとの主張について。

弁護人は、小室恵弘が運送申込当時泥酔しており、これは道路運送法一五条七号、自動車運送事業等運輸規則一三条三項、同条一項三号により、引受拒絶の正当な事由がある場合に該当し、したがつて被告人は、違法な運送引受の拒絶をしたものではないと主張する。

しかし、前記各証拠によれば小室恵弘は本件当日勤務先の会合の席および右会合後赴いた本件現場付近のバーにおいてビールを飲んだことは確かであるが、本件運送申込当時泥酔の状態に至つていたとは認められないから、同人は、右当時前記運輸規則一三条三項、同条一項三号に定める泥酔の状態にあつたとは認められない。また、被告人としても、小室が泥酔状態にあると認識していたわけではなく、被告人が運送引受を拒絶した理由は、専ら小室の行先が被告人が帰る会社の方向と違つていたためと認められるから、弁護人の主張は採用できない。

二、被告人には殺人の未必的故意がないとの主張について。

被告人および弁護人は、被告人には被害者に殺意を抱く余裕はなく夢中で自車を運転したのであるから、殺人の未必的故意はないと主張する。

しかしながら、判示のように、被告人は、被害者が自車の左前部の窓と屋根の方向指示灯に両手をかけしがみつくという不安定な姿勢にあることを認識しながら、それをかまわずにあえて自車の速度を時速六〇キロメートルに加速したものである。被告人のかような行為によつて被害者が路上に転落し、その際頭部等を強打しあるいは同車の後車輪または後続の他の自動車に轢かれて死亡するという結果の生じうることは十分あり得るところであり、たとえ被告人が被害者の行動に不安を感じたため自車を走らせたとしても、被害者に死の結果をもたらす可能性のあることを認識していたものと考えられる。それにもかかわらず、被告人は自車を減速するなどの処置をとることもなく、そのまま進行し、被害者が振り落された後も、その安否を気遣うような態度は、全く見られなかつたのであるから、被告人には被害者に死亡の結果を生ずるおそれのあることを認識しながら、あえて本件犯行を行つたものと認めざるを得ない。従つて、被告人には本件犯行当時殺人の未必的故意があつたものと認めるのが相当である。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二〇三条、一九九条に、判示第二の所為は、道路運送法一五条、一三〇条三号、一三二条に、それぞれ該当するところ、判示第一の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、右は未遂であるので同法四三条本文、六八条三号により法律上の減軽をし、さらに、同法六六条、七一条、六八条三号により酌量減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪なので同法四八条一項により第三の罪の罰金と第一の罰の懲役とを併科することこととし、その所定刑期および金額の範囲内で被告人を懲役一年および罰金一万円に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数のうち六〇日を右懲役刑に算入し、右の罰金を完納することができないときは、同法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の事情)

タクシーの運転者である被告人が、乗車拒否をしたうえ、自己の運転する自動車にしがみついている被害者の危険を全く顧みず、あえて時速六〇キロメートルで走り続け、被害者を路上に転落させた本件犯行の態様はかなり悪質であり、被告人の刑事責任は決して軽くはない。しかしながら、判示第一の行為は小心な被告人が被害者小室の行動に不安を感じ、狼狽の気持もあつてなされたものであり、また被害者の受けた傷害の程度も、全治一週間という軽いものであるうえ、被害者との間に示談が成立した結果、被害者から寛大な処分を望む旨の嘆願書も差し出されており、さらに被告人には罰金刑以外の前科もなく、平素は温厚で真面目な生活を送つていたと認められるから、これらの情状にかんがみると、判示第一の罪については未遂減軽および酌量減軽をした刑期の範囲内で主文掲記の刑を量定するのが相当である。(浦辺衛 小林充 田口祐三)

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